Tuesday 16 July 2019
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huffingtonpost - 14 days ago

強くなるために捨てたもの。私もキレイになって、いいですか?

人には、ひとつやふたつ、コンプレックスがある。そういうものからは出来るだけ目を背けたいから、遠くへ追いやろうとする。私は、PRコンサルタントとして企業の広報活動や情報発信の支援をしている。仕事は順調で、ありとあらゆる業界のお客さまと関わっている。が、ひとつだけ避けている業界がある。それが、「美容」に関わる分野だ。「美容」といっても色々あるけれど、化粧品、ヘアケア、エクステ、ネイル、脱毛、機能性下着、プチ整形、その他諸々、基本的にはお断りしている。というのも、まさにそれが、私にとってコンプレックスだからだ。未だに下着売り場に立てない36歳「美容」というよりも、「女性のためのもの」という方が適切かもしれない。百貨店の化粧品売り場の居心地の悪さといったらない。知らない森に迷い込んだような。ブランドを見てもよくわからないし、化粧道具を見ても、基本アイテム以外は何に使うのかよくわからない。目もくれずに一目散に走り抜ける。もっと居心地が悪いのは下着売り場だ。36歳にもなって、リアル店舗で下着を買うことが出来ない。あの空間に立つと「自分には場違いなんじゃないか」と感じて気恥ずかしくていられない。選びに行くのが面倒くさいというのもあるけれど、化粧品も下着も、大半の洋服も、オンラインで購入している。「この分野は、私には関係ない」というのが、私の中の「美容」や「女性のためのもの」に対する捉え方だ。一方で、残念なことに私は確実にそういったものへの憧れを持っている。私のコンプレックスは、そういうギャップが生み出しているのだと思う。男の子みたいになりたかった幼少期「男の子になりたい」最初にそう思ったのは、小学生になるかならないかの頃だったと思う。我が家は、関東圏にある300年続く農家で、集落は今でも農業中心。家の裏には、見渡す限り畑が広がっている。親類も、農業従事者が中心だった。幼稚園や学校がないときは弟と二人で両親の後をついて行き、畑の中で泥遊びや農作業の手伝いをして育った。広くて美しい畑がとにかく大好きだったし、両親の働く姿が好きだった。自分もいつかこの畑で働くものだと思っていた。だから、「え? 跡継ぎにはなれないよ。女の子じゃない」と言われたときの絶望は今でも覚えている。家業がある家は、今でも男系継承のところが多い。先に生まれていようと、農業が好きであろうと、適性があろうと、弟がいる以上、女には家を継ぐ資格がなかった。私が農家になるには、農家をやっている男の人のところに嫁に行くという選択しかなかった。子供心に、なんとも言えない屈辱を感じた。そもそも、農村での女性の地位は未だに低い。農家の会合と言えば男性が集まって大声で飲み散らかし、女性はお勝手でせっせと料理を作って、酒を出し、お酌をする。「食事のときは、自分は真っ先に食べきりなさい。男の人がおかわりをしたいと言ったら、すぐにお釜に行けるように準備をしておくのよ」実際に、子供の頃に母親に言われたことだった。そういう世界観も、嫌いじゃない。ステキな男の人に尽くしたいと思う自分もいる。でも、それで良いんだっけ。自分もゆっくりご飯を食べたい時もあるよな。双方の状況じゃなくて、「性差」のせいで全部決まるの? それっておかしくない?自分の中で、感情の整理がつかなかった。そこで、まだ子供の私が出した結論は、「男の子みたいになろう」だった。たとえば、好きな男性歌手がいたとする。一般的には、その歌手に見合う自分を想像して、おめかしをするのが女子というものな気がする。だけど私は、その男性そのものになろうとした。髪を短く切り、ズボンしか履かなくなり、男物の服を買い、わざと低い声でしゃべるようになった。言葉遣いも、男言葉に寄せていった。反比例するように、女の子っぽいものを憎んだ。ピンク色のもの、フリルが付いたもの、キティちゃんもセーラームーンもルーズソックスも、みんな憎んだ。幸か不幸か、元々背が高かった。小学校卒業時には既に160センチを越えていて、骨格も良かった。24歳で結婚。でも、25歳で離婚したじゃあ、「男性化計画」が成功するかというとそういうわけもなく、年齢が上がるにつれて、自分はやっぱり女なんだということに気付かされる。例えば好きな男の子ができた時。「男の子になりたい」私は、同じ男の子として接していたのに、突然、女の子としての想いが芽生える。その感情をどう扱っていいかわからない。そもそも「男の子のような私に愛情を向けられる」ということ自体が、相手にとって不快でしかないのではないか、と悲観的になる。絶望すればするほど、日頃押し殺している女の自分が激しく暴れて、制御できなくなる。突然媚を売ったり、性を強調するようなアプローチに出たり、考え方や行動が極端になる。いわゆる「こじらせ系」なのだ、私は。人並みに、学生時代から恋愛もした。でも、「この人ならこんな私でも愛してくれるかもしれない」という人ばかりを選ぶ不健全な恋愛ばかりだった。そりゃあそうだと思う。自分自身を認められない人間というのは、崩れそうな崖に立っているようなものだ。不安定すぎて、人間関係でたくさん失敗もした。そして23歳で婚約し、24歳で結婚した。でも、25歳で離婚した。23歳で婚約したのは、子供の頃から両親に「女は23歳になったら結婚するもの」と言われていたからだ。なんとなく、その時付き合っていた人と結婚した。家に入ったからには女性として腹をくくろうと、仕事を正社員からパートに変えて、家庭のことを中心に過ごした。女性とはそういうものだと思っていた。離婚の原因は色々あるもけれど、ひとつは私の不安定さから来ていると思っている。「女性は家庭でこうあるべき」という先入観と、そんな世の中の女性らしさを憎む自分がごちゃまぜになり、自分の取り扱い方がわからなくなってストレスを溜め込んだ。そんなときに当時の夫は病に罹り、家庭は崩壊した。そこからは仕事に没頭し、一気に上り詰めた。元々働くことは好きだったというのもあり、正社員になり、がむしゃらに働き、35歳で独立した。もう、キレイになっていいんじゃないかな個人事業主として独立し、1年半が過ぎた。今のところ事業は順調だ。事業が順調だと、自信がつく。自分に自信を持てるようになると、いろんなことに挑戦したくなる。ビジネス上の挑戦はもちろん、新しい趣味に手を出したり、これまで買ったことのなかったような買い物をしたり。その過程で、もう一度自分と向き合っている。そうすると、「私はこうあるべき」というしがらみも自然に外れていき、今まで目をそらしていた自分にも向き合えるようになる。ふと鏡を見ると、フェイスラインや肌のくすみが気になるようになってきた。今までろくに日焼け止めも塗っていなかったから当然だけど、これ、なんとかならないかしら。「もう、キレイになっていいんじゃないかな」そんな言葉が、自然にこぼれた。自分に自信が持てるようになった結果、「女性である自分」を受け入れられるようになってきた。「キレイになることは、私にも許されているんじゃないか」と思えるようになった。そして、何度もためらい、おどおどしながら、エステという場所に行ってみた。美容関係を一切毛嫌いしていた自分からすると、すごい革命だった。最初は居づらくてオドオドしていたけれど、今は自然に行けるようになってきた。少しずつ変わる自分を見ると、やっぱり欲が出る。「もっとキレイになりたい」と思うようになる。やっと自分が女であることに、優しくできるようになってきた。「男の子みたいになりたい自分」も、「女性としての自分」も、どちらも包括して「自分」だと受け入れられるようになってきた。「コンプレックスを乗り越えよう」なんて、安易には言わない。私も未だに化粧品売り場はいづらいし、下着売り場には行く気になれないから。ただ、「そんな自分」を受け入れられると、自分の可能性がぐっと広がることを知った。そのために必要なのは「自信」なんだと思う。いきなりコンプレックスの克服なんて無理。自分の得意なところから伸ばしてあげる。私の場合は、ビジネス。そして自信がついたところで、全体をカバーする。それが、私なりの解決法。コンプレックスとの向き合い方は人それぞれ。
乗り越えようとする人。
コンプレックスを突きつけられるような場所、人から逃げる人。
自分の一部として「愛そう」と努力する人。
お金を使って「解決」する人 。それぞれの人がコンプレックスとちょうどいい距離感を築けたなら 。そんな願いを込めて、「コンプレックスと私の距離」という企画をはじめます。ぜひ、皆さんの「コンプレックスとの距離」を教えてください。現在、ハフポスト日本版では「コンプレックス」にまつわるアンケートを実施中です。ご協力お願いします。


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