Sunday 21 July 2019
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huffingtonpost - 9 days ago

僕に必要なのは妻。子どもや親ではない。離婚家庭の息子が語った家族観

2018年の婚姻件数は59万件、離婚件数は20万7000 件。1988年の婚姻件数が70万7716件、離婚件数15万3600件。この30年で、離婚率は単純計算して10%ほど上がっている。にもかかわらず、日本において離婚はいまだタブーのひとつとされる。 「夫婦は一生連れ添うもの」「家庭の問題は家庭内で解決するもの」――。こうした 常識 が根強い日本で、各家庭の問題が表に出ることは少ない。筆者もひとり親家庭育ちのひとりだが、表立って誰かに伝えたり相談したりはしてこなかった。こと男性の口から、問題含みな家族の話題が出ることはまれだ。今回話を聞いたのは、鈴本真二さん(仮名)。島根県生まれの41歳だ。両親が、6歳の時に離婚。母の実家にあたる祖父母宅に、母と姉と移り住んだ。自身は34歳のときに結婚している。「いつからか、家族との関係にはどこかで諦観していた気がします」自身の半生をこう振り返る鈴本さんの家族観、そして結婚観とは?  家庭を居場所だと感じたこともなかった。鈴本さんは、幼少期から家庭内の空気にストレスを感じていた。「物心ついたときには、幼いながらに両親の不和を感じ取っていました。暴力などはありませんでしたが、母が実家に帰って自宅にいなかったり、玄関先で両親が無言で相対していたり、父が外出したドアに母がすぐ鍵をかけてしまったり、そんな光景を見ていましたから」6歳のときに両親が離婚し、3歳年上の姉とともに、母の実家に移り住んだ。ほどなくして小学校に入学。すると、近所の子どもからのいじめが始まった。集団登校する30分の道中、全員からひどい言葉をかけられたり、たたかれたり、近づいたら走って逃げられたり。それは2年間、毎朝続いた。「今思えば、彼らは親から何か吹き込まれていたのでしょう。田舎ですから噂に尾ひれもつきやすく、大人の適当な言葉がいじめを生んだんだろうな、と」離婚後、母は仕事で深夜に帰宅するようになり、代わりに身の回りの世話をしてくれたのは祖父母だった。家には祖父母のほか、未婚の大叔母と叔父も同居しており、一見多くの家族に囲まれて育ったかのように映る。しかし、鈴本さんは「祖父母たちのことは人並みには好きでしたが、心の交流のようなものはなかった。家が自分の居場所だと感じたこともありませんでした」と振り返る。 「僕が好きだった大人は、母が仕事で管理している歓楽街の飲食店で働くお兄さんやお姉さんたちでした。少し大きくなってからは、ある店員の家で金曜日の夜遅くまで一緒にゲームをしたり、中卒のお兄さんに近代戦争史を教えてもらったり。田舎の 普通の 家庭で育った小中学生とは、かなり違う環境で育ちました」鈴本さんが何より居場所としていたのは、友人たちとの交流の場だ。中学に上がると、自宅の離れや学校の部室で親友たちとたむろするように。夜遅くまでゲームをしたり、音楽談義、雑誌談義を交わしたりするのが楽しかった。「彼らとの関係に血より濃いものを感じる一方で、家族との関係にはいつからか諦観していた気がします。自分の輪郭を示してくれるのは、いつでも血縁以外の人だった」「母とはほぼ顔を合わせませんし、姉は中学時代から非行に走ったため家におらず、僕たち3人はバラバラの世界で生きていた。だから、たまに対峙しても適切な距離感はつかめませんでした」卒業後、上京して働き出してからも、それは変わらなかった。7年前、母親は亡くなったが、最後までどう接していいのか、何を話していいのかはわからなかったと話す。 僕に本当に必要なのは妻自身。家族に対して静かな諦念を抱いていた鈴本さん。結婚についてはどう考えていたのだろう。「両親が結婚に失敗しているうえ、19歳で結婚した姉もあっという間に離婚。祖父母も婚姻関係は保っていたけれど、祖父が外に女の人を作っていたりして、幸福には見えなかった」「未婚の大叔母や叔父がいたこともあり、結婚制度への期待はなく、現実味もありませんでした。結婚したら自分も失敗するのではないかという恐怖感すら抱いていました」子どもをほしいと思ったこともない。結婚して子どもを作っても、離婚するかもしれない。そうなれば、子どもは片親家庭で自分と同じ思いをしながら育つかもしれない。 こう考えると、子どもを持つ気になどなれないのだという。「今も昔も、友人たちの家庭の話を聞いたりすると、いいな、うらやましいなと思うんですよ。 普通 の家庭ってこうなんだな、って。でも自分は、そんなもの望むべくもない。自分には手には入らないし、 普通 の夫役、父親役をやれないのはわかっていますから」そう語る鈴本さんが結婚を決めたのは、34歳のとき。ちょうど母親がステージ4のすい臓がんで入院していたタイミングだった。「当時、交際していた彼女に『引っ越しをしたい』と話したら、『結婚して一緒に住むって手もあるよ』と返されて。家族以外の誰かと一緒に暮らした経験がなかったし、家賃が安くなるならそれもいいかな、と」母の病気も後押しした。「母の死の間際に結婚という一般的な幸せを見せるのは、息子としていいことなんじゃないかと思ったんです」鈴本さんは婚姻関係を結んでなお、家庭、家族というものには違和感を抱き続けていると打ち明ける。「お互いに依存しあう関係に苦手意識があるんです。いまも家賃は完全折半ですし、根底では妻にも自分にもそれぞれの人生、それぞれの生き方があると思っている。でもそれは、自分も父母や姉のように、いつか離婚をするかもしれないという恐怖心があるからだと思うんですね」妻の実家に対して、母亡き後の田舎の親族に対して、 家族 としての勤めを果たすつもりはある。妻の実家に遊びに行って義理の息子を演じたり、姉と協力し合い母の法要を執り行ったりも、もちろんする。ただそれは、家族への無償の愛情や責任感ではないのだ。「僕に本当に必要なのは、彼女自身であって、子どもや彼女の親ではないんですよ。いまでも、彼女と家族になったという感覚はない。でも、最良のパートナーです」「僕は妻とともに、何気ない日常を生きている。それで十分なんです。料理をして、皿を洗えと小言を言って、生活力の高くない彼女の代わりに家を回すのが、僕の役目なんだと思ってしまっている」「本当は、妻との距離の取り方さえ、いまだに僕はわかっていないのかもしれませんね。彼女を子ども扱いしてしまうようなことがあるんですが、それは自分が味わうことがなかった、こうであったらよかったなという、日常における理想の父親像を演じているのかなと思ったりもします」鈴本さんは母の死後、再び家庭を持ち3人の子どもを持った姉と、ただひとつ同意する点を見つけたという。それが、「人並みに生きたい」という望みだ。「僕も姉も、何気ない日常こそがかけがえのないものだと考えている。母子家庭で育った子どもの、高望みがそれです」他人事のような口調は、このとき、どこかあたたかく響いた。血縁を離れ、自ら選んだ居場所で平和に続く、鈴本さんの日常。いま、鈴本さん自身の輪郭をくっきりと浮かび上がらせているのは、血の繋がらない妻その人なのだろう。.........「家族の呪縛からは逃れることはできないし、かといって家族に対してそこまで冷淡にもなれない。僕は、その相克の中で生きてきたのだと思います」これは取材後、鈴本さんからいただいたメールの一文だ。家族関係に悩む子どもたちは皆、多かれ少なかれ同じ気持ちを抱いているのではないだろうか。妻と自分。そのミニマムな関係を、物足りなく、頼りないと感じる人もいるだろう。だが鈴本さんの話を聞くと、それ以上の幸福はない気がしてくる。幸せのかたちは一人ひとり違う。のびやかな心で、健やかに息ができること。それこそが、自ら選んだパートナーと暮らす幸福の基準なのではないだろうか。 (取材・文:有馬ゆえ 編集:笹川かおり)


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