Saturday 17 April 2021
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huffingtonpost - 2 month ago

「逃げるのも才能だってよ」クドカン脚本ドラマ『俺の家の話』は発達障害を「当たり前」に描く

『俺の家の話』(TBS系、主演:長瀬智也、脚本:宮藤官九郎)は、発達障害を「当たり前」として描く、稀有なドラマだ。 主人公・観山寿一(長瀬智也)の息子の秀生(羽村仁成)は、小学5年生である。学習障害(LD)と診断を受け、多動症(ADHDの特性のひとつ)の兆候もあると医師に言われている。第1話の冒頭で「死ぬ」を「四ぬ 四ぬ 四ぬ 四ぬ」と誤って書き、病院での診察や、父親に「克服」のための訓練をさせられるシーンも描写される。 学校生活に困難を抱える秀生だったが、フリースクールに通い、能の「観山流」を受け継ぐ父の実家で稽古を始める。発達障害傾向のある人物はフィクションでしばしば描かれるが、主人公としてその行動がフォーカスされたり、ストーリーをかき乱したりする特異な描かれ方が多い。しかし本作の秀生は、主人公でもなければ、発達障害が特異なものとして描かれるわけでもない。ごく当たり前のこととしてサイドストーリーに現れ、当たり前に自分に合ったフリースクールを選んで通い、当たり前に「お薬」を飲む。今回はドラマ『俺の家の話』を通して、フィクションが描くことのできるインクルーシブ(包摂的)な世界、そして秀生とその家族をめぐる「内」と「外」の関係を考えてみたい。※本記事は、作品のネタバレを含みます。 『俺の家の話』が描く「家」「血縁」「長男」伝統芸能の継承、介護、相続、結婚、離婚、職業選択、ギグ・エコノミー、子育て━━。観山家には問題が山積している。なかでも色濃く描かれるのは、作品タイトルにあるように「家」である。 寿一の父は、人間国宝の観山寿三郎(西田敏行)だ。能の「観山流」の二七世宗家、すなわち家元である。伝統芸能を継承する観山家の家制度は厳格だ。典型的な家父長制であり、血縁が重視される。その「長」たる寿三郎が脳梗塞で倒れ、余命宣告されると、物語が動き始める。 寿一は長男として幼い頃から能の稽古をし、神童と呼ばれていたが、父からは一度も褒められたことがなかった。寿三郎は寿一に対して、たびたび「そういうもんなんだよ」と息子の運命を口にした。そんな寿一はやがて「外」に飛び出し、プロレスの世界に入ると、「俺の求める家族の姿がそこにあった」と感じる。寿一にとっての「家」は、「誰も俺を特別扱いしない」場所だった。父・寿三郎が倒れ、25年ぶりに観山家に戻ったときには「長男のくせに」と家族から言い捨てられた。 一方で、血縁の「外」にいた芸養子の寿限無(桐谷健太)は、「内」に入り、誰よりも稽古を重ね、「家」を守ってきた。自分には「家」を継ぐことはできないと思いながら、寿一の帰りをずっと待っていたのだ。寿限無は寿一に対し、「能っていうのはね、神様に奉納する芸能なんだよ。それを司るのが宗家。すなわち、観山家に生まれし者の宿命なんだよ」と諭した。「神」や「家」という「正統」に対して、「異端」は立場がなかった。しかし、実は寿限無もまた、寿三郎と血縁のある息子だった。隠されていた事実を先に知らされた寿一は、父・寿三郎に対して、「なんだよそれ。また家かよ。家のためだったら何やってもいいのかよ。子どもの人生奪ってもいいと思ってんのかよ」と食ってかかった。寿限無本人も、その事実を唐突に知らされ、煩悶することになる。ある者は「家」や血縁、長男の立場から逃げ、ある者は自身を異端だと思い込んでいても「家」を守った。登場人物たちが「内」と「外」を行き来するのが、『俺の家の話』の大きな特徴だ。子どもたちも、「家」「学校」「伝統」といった「内」と、それらの「外」を行き来する。  プロレスラーで長男で父親の寿一がさらけ出す弱さ寿一の甥である大州(道枝駿佑)は高校生だ。「家」の一員として能の稽古をしてきたが、ダンスに熱中し始めている。ある日、能の舞台とダンスの大会の日にちが重なってしまうが、大州は能に行かなければならないと諦念を感じていた。 寿一はダンスの練習に励む大州のもとへ向かう。「稽古だろ?」と訝しむ大州を、寿一は「ラーメン食おうぜ」と連れ出した。「逃げるのも才能だってよ。俺は逃げた。違う世界が見たくて、結局プエルトリコまで行って世界の広さに打ちのめされて戻ってきたよ」と寄り添う。寿一は、逃げた自分の弱さをさらけ出し、「内」と「外」の両方の選択肢を見せるのだ。寿限無もまた、「逃げ道を作ってあげるのも大人の役目だと思う」と語っていた。発達障害のある秀生は、大州とは対照的に「外」からやってくる。 秀生は学校という「内」の世界で困難を抱えて、「外」のフリースクールに通い始めた。両親は離婚していたが、週1回の面会日に父の寿一と会い、ときには観山家を訪れ、寿三郎とともに認知症のテストを受けて遊んだりもする。学校の勉強は苦手だったが、動作を基本とする能には適性があった。能は秀生にとって「外」の世界であったが、寿三郎や寿限無にとっての「内」の中心だった。秀生は、寿三郎の寵愛を受けることになった。  クドカンと発達障害。「尊重」を描くことの意味実は、このドラマの脚本を担当するクドカンこと宮藤官九郎が学習障害の「内」と「外」を描くのは、本作が初めてではない。連続ドラマ『ゆとりですがなにか』(2016年、日テレ系)では、松坂桃李演じる教師が算数障害のある生徒の大悟に言う。「大悟が電卓を使っていい時代がそのうち来ると思う。それが本当の平等、本当のゆとり教育だと先生は思います」他の子が「大悟だけ電卓使えばいいと思う。目の悪い子がメガネかけてるんだから、頭悪い子は 」と言うと、教師は「いや、頭悪いは違うぞ。大悟は割り算の筆算の手順が苦手なだけ」と諭した。「合理的配慮」の考え方が、的確に描写されている。大悟は、算数だけは「外」の教室で分かれて学ぶこととなった。『俺の家の話』で秀生が生きる世界は、教師の言った「電卓を使っていい時代」とも言えるかもしれない。同級生にからかわれることはあるものの、周囲の大人たちは秀生の特性を当たり前に尊重している。 発達障害の当事者が抱く「内」と「外」の感覚発達障害のある人は、たびたび「内」と「外」の問題に直面する。筆者も発達障害の当事者だが、「自分が普通ではない」と「外」の感覚をずっと持ってきた。特別支援学級の生徒数は、少子化にも関わらず、10年でおよそ2倍に増加した。発達障害のある子どもだけに限った数字ではないが、「普通級」の「外」で学ぶ子どもが増えたということだ。社会に出ると、障害者雇用か一般雇用か、という分かれ道がある。障害者雇用の平均月給はきわめて低く、ある意味では労働市場の「外」に置かれているとも言える。福祉的就労のあり方についても、さまざまな議論のあるところだ。「外」は私たちにとって生きやすい環境であることも多く、悪とは限らない。問題は、何かを強制されることだ。『俺の家の話』で「尊重」が描かれているのは、大きな価値だ。  「内」と「外」を自分なりに選べる社会とは落語家の柳家花緑さんは、伝統芸能の世界で才能を発揮する発達障害の当事者だ。秀生と同じ、学習障害(LD)を公表している。子ども時代には、国語、数学、社会、理科の評価が「1」だったが、音楽と美術は「5」の評価を得ていたという。 落語は「口伝(くでん)」だ。文字を媒介せず、師匠の落語を音で聞き、話す。中学卒業後に学校という「内」から離れた花緑さんは、戦後最年少の22歳で真打に昇進した。選べることが大切なのではないか、と筆者は思う。誰もが花緑さんのような才能を持っているわけではない。しかし、「内」と「外」は、捉え方や環境次第で移り変わっていく。家や会社、コミュニティといったさまざまな枠組みは重要だが、影響を受けすぎてがんじがらめになってしまうのは息苦しい。秀生は観山家という特殊な環境で、「内」と「外」をすり抜け、能の世界に一歩踏み入れる。規範や風潮、思い込みにとらわれず、「内」も「外」も自分なりに選べる社会がいい。強制されない社会がいい。そこへきて、「外」を選ぶことのできなかった寿三郎の哀愁が際立ってくる。妻を早くに亡くしていた彼は、あるとき、能も「家」も何もかも捨てて「むき出しのじじい」になりたいと考え、ある女性と婚約した。しかし、奇しくも結婚直前に人間国宝に選ばれ、能を守っていくしかなくなってしまった。「そういうもんなんだよ」に象徴される人生だった。   才能を開花させ「正統」に入っていく秀生。その運命は? ドラマの中で、秀生は能の才能を見出される。祖父で人間国宝の寿三郎は、寿一のときとは違い、手放しで孫を褒める。発達「障害」と呼ばれるからには、全てがうまくいくわけではないかもしれないが、「正統」に入っていく秀生の育つ環境に注目したい。「当たり前」に発達障害の特性が描写される本作は、フィクションがインクルーシブな社会を示すモデルになるだろう。最近、映画の世界では大きな動きがあった。アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーは2020年、作品賞の新基準として「主要な役にアジア人や黒人、ヒスパニック系などの人種または民族的少数派の俳優を起用すること」や、「制作スタッフの重要なポジションに女性やLGBTQ、障がい者が就くこと」を含めると発表した。2024年から適用される予定だ。日本でも、マイノリティが作品に登場し、制作に携わることが「当たり前」になることを望む。発達障害のある秀生は、どんな暮らしに行き着くのだろうか。寿一は「家」に戻ったが、「外」のプロレスに呼び戻され、「異端」として副業を続ける。「内」と「外」をつないできた寿一の運命はいかに。寿三郎の婚約者として「外」から「家」に入り込んでくるさくら(戸田恵梨香)は、「内」に居続けられるのか。「お兄さん、型にはめちゃう感じ、だせえっすよ」と言い放つ義弟の長田(秋山竜次/ロバート)は、「家」をどうかき乱すのだろうか。『俺の家の話』から目が離せない。  (取材・文:遠藤光太 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)あわせて読みたいテレビで目にした発達障害の番組。そこには“僕のこと”が映し出されていた母から虐待を受け、父子家庭で育ったぴーちゃんは、職場という「居場所」でADHDと生きる「夫の嫌なところは、全部ADHDのせいだった」人気YouTuber・ナカモトフウフの発達障害との付き合いかた...クリックして全文を読む


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