Monday 20 January 2020
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huffingtonpost - 1 month ago

ビーチテニス本間江梨は「世界一になりたい」を諦めない。挑戦し続けるための心構えとは

ビーチテニス。みなさんはこの競技を知っているだろうか。その名の通り、ビーチコートでテニスをする競技で、「ビーチバレー」と「テニス」の特性を併せ持っている。この新しいスポーツで世界一を目指しているのが、本間江梨選手(38)だ。もともとはバレーボール選手で、ビーチバレーに転身し、現在はビーチテニスに挑戦の場を移した。3つのスポーツを渡り歩き、どれもトップ選手として活躍するマルチアスリート。海外挑戦にも積極的で、バレーボールでは世界最高峰イタリア・セリアA時代にヨーロッパ王者に輝き、ロシアリーグにも参戦した。「1つにとどまることが本当にできなくて...」そうあっけらかんと語るのだが、一体どうやったら、そんなに挑戦し続けられるんですか?本間選手に秘訣を聞いた。春高バレーで賞総なめ、でも「転向」本間選手は小学1年でバレーボールを始めた。高校時代は春の高校バレーで準優勝し、最優秀選手賞(MVP)を始め賞を総なめにした。卒業後はVリーグのイトーヨーカドーで活躍し、順風満帆に見えたスポーツキャリアだったが、1年で退社。ビーチバレーという新しいフィールドに移った。「もともと枠におさまれない人間なので、それまでは本当に自由にさせてもらってきたんです。でもやっぱり、企業に入るとすごく枠があって、そこからはみ出ることが許されない。自分が本当に好きなスタイル、バレーボールができないのなら、やる必要はないと思いました」ビーチバレーでも頭角を現し、21歳以下ジュニア全日本代表に選ばれ、ジュニア世界選手権9位、アジア選手権ベスト8の成績を収めた。「団体ではなく2人なので、自分が努力すれば勝てるし、自分のスタイルを貫ける。そこに面白さを感じました」「私のプレー見て!」突っぱねられても掴んだセリアA行きビーチバレーに転向して半年ぐらいして、バレーボールの海外挑戦の話が舞い込んだ。イタリアのチーム「モデナ」で監督を務める、元中国代表で五輪金メダリストの郎平(ろう・へい)さんが、レシーブ専門職のリベロができる日本人を探していた。本間選手が紹介・推薦されたが、年齢を理由に突っぱねられた。それを知らされ怒りがこみ上げた。 「『若すぎるからダメ』と言われたことがちょっと頭にきて。冗談じゃない、ちょっと私のプレーを見てみろって」ちょうどビーチバレーの大会で中国に訪問するのに合わせて、自ら監督の元を訪ねて、 トライアウト を申し出た。勢いに任せて、持ち合わせていたビーチバレー用の水着と外履きシューズでプレーを披露した。 するとその場で「気に入った。イタリアに来て」。世界最高峰リーグのセリエA行きを勝ち取った。「なにくそ、という気持ちがそうさせた。自分がすごく前向きにいろんなことに挑戦している時期だったと思うので、『そうなんだ、仕方ない』という選択はもちろんなかった。駄目でもいいから1回トライはしないと納得がいかなくて行きました」たった1年で欧州王者にこの決断は、モデナ側にとっても大成功となった。その年の2002年シーズン、モデナは国内リーグ優勝に止まらず、ヨーロッパ選手権も制覇。全試合に出場した本間選手は、ベストリベロ賞、MVPを受賞した。日本人が世界最高峰のセリエAでプレーするのが珍しかった時代に、主力としてたった1年で頂点に上り詰めた。「日本人としては誰も行きついたことがない、世界最高峰といわれるセリエAでトップを見たい」と高く掲げた目標を、現実のものにした。いち選手としても「プロとは何か」を叩き込まれ、それが結果につながったと振り返る。「例えば最初の1本目のボールは、コートのどこに落ちても私がとらなきゃいけない。日本では誰がこのエリアをとるみたいなのがあったのですが、本当にびっくりするぐらいとらなくて、戸惑っていると『あなたの仕事でしょ』と怒られました」あえて2部リーグへあくなき挑戦は続く。翌シーズン、セリエAのチームからのオファーを蹴ってロシアに渡った。「掲げた目標を達成できたのでもっと違う国を見てみたかった。ロシアという国は未知数で、バレーボールの歴史もすごくあるし、世界ランキングもいつも上位にいたのに惹かれました」しかも、オファーをもらっていた1部リーグのトップチームではなく、2部リーグの最下位のチームだった。「1部リーグのトップチームは、私が入ってもきっとトップのまま。変化がないことがすごく嫌で、だったら2部リーグの最下位の方が面白い。どこまでできるのか自分へのプレッシャーでもありました」そこでも、「1部リーグ昇格」という目標どおりの結果を残した。「社会経験したい」スポーツ界を退く当時は海外でプレーする選手がほとんどいなかったことから、全日本代表への選考は、国内でプレーしている選手を前提とする「ルール」が存在していたという。本間選手は、その「ルール」についてメディアを通して言及していた。全日本代表から声がかかり、合宿には参加したが、日の丸背負って戦うモチベーションを見出せなかった。 「ロシアにいたときは『日本のバレーボール協会を抜けて行ってくれ』と言われて、『一切ノータッチ』という扱いでした。それがメディアで放送されると、『管轄に入らなければいけなくなる』といった言い方をされて...」そこからビーチバレーに活躍の場を移し、アメリカに渡って現地プロリーグに参戦。その後日本に帰国すると、バレーやビーチバレーを一切やめて、一般企業に就職する。その時、20代の前半。プロリーグのない日本バレーボール界での引退後を考えた上で、将来やセカンドキャリアも見据えた選択だった。「例えば30歳を過ぎて引退して、社会を知らない人間がそこからいきなり飛び込めるかといったら、多分プライドも邪魔して駄目になる。だったら今の時点で社会を経験しておこうと思いました」トップアスリート生活から一転、スポーツの第一線から離れた日常を3年間過ごした。働きながら通信制の大学に通い、「40歳になったら社長になりたい」と経営学を専攻した。すると早速、大学バレー部の監督からコーチの誘いを受けた。無心にボールを追いかける学生を見ると、忘れかけたバレーへの情熱が蘇ってきた。学生と組んでビーチバレーで選手としてインカレに出たのをきっかけに、もう一度、ビーチバレーの世界に復帰した。「駄目なんですよね。止まっていられなくて、常に変化がないと頑張れないんです」 「できなくて面白い」だからビーチテニスビーチバレー選手として約5年間。ブランクをはねのけアジア大会の日本代表にも選ばれたが、けがで断念。オリンピックを目指していたが「どうあがいても世界の頂点には絶対に行けない」と、日本と世界との差から、限界を感じていた。そんな時、練習場所だった神奈川県の鵠沼海岸でビーチテニスと出会った。飛び込み参加し、初めてラケットを握ってみたが、飛んできたボールを全て手で受けてしまう。 「あれ?何もできなくて面白い」初めての感覚だった。ラケットの扱いもおぼつかないのに、その週末の国際大会でトップ選手のプレーを見た時、「やり方次第で世界を取れるかもしれない」と可能性を感じた。新たな目標を見つけ、水を得た魚のようにビーチテニスの世界にのめり込んでいった。気づくとビーチバレーそっちのけで、商売道具が「手」から「ラケット」に変わった。「一番大きい目標は世界の頂点というのは変わっていません。まずはとにかく、日本で一番にはならなきゃいけない」テニスからの転向者ばかりの中、32歳で新しい競技に3飛び込んだ。現在は国内ランキング1位の大塚絵梨奈選手とペアを組み、頂点を目指している。ペア競技がベストビーチテニスは、砂浜のビーチコートで、ボールをバウンドさせずに空中でラリーをしながら得点を取り合うペア競技。「パドル」と呼ばれるラケットはテニス用よりも短く、表面は羽子板のように平らで、ボールも柔らかい。「単純にビーチでやる開放感が魅力。自然の中だと、いろんな感情を素直に出せる状態になれるのが好きなところです」練習にお邪魔させてもらうと、白砂を敷き詰めたビーチコートで、目にも留まらぬスピードで宙を行き交うサーブやラリーの応酬に圧倒された。白砂のコートで、ネットを挟んでラリーの応酬が繰り広げられるビーチテニス。

強烈なサーブを放つのは本間江梨選手。ペアを組む大塚絵梨奈選手と頂点を目指しています。

練習にお邪魔させてもらうと、鋭いサーブや展開の早いラリー、ビーチならではの豪快なダイビングキャッチは大迫力でした。 pic.twitter.com/OhlnMLdvnp Rio Hamada / ハフポスト (@RioHamada) November 14, 2019本間選手が披露した、ビーチコートならではの豪快なダイビングキャッチは、バレーボールのリベロの姿と重なった。活動的な性格から「絶対、個人競技向き」と人から言われるというが、「ペア競技がベスト」と言い切る。「やっぱり、仲間、人が好きなんです。お互い足りないものを補いながら、相手の倍の力を引き出す。『本当にこの人』という人と向き合って、同じ目標に向かって戦える。2人が究極なのかな」 「どっちがワクワクする人生か?逃げるのもあり」本間選手は、どうしてここまで挑戦し続けられるのか。不安がないわけではない。人生の帰路に立たされ、選択を迫られた時、いつも「どっちがワクワクする人生なのか?」と、自身に問いかけている。人並み外れた運動能力から、時には超人扱いされるトップアスリート。彼らもひとりの人間として、壁や悩みにぶち当たり、迷い落ち込んだ時、自分なりの方法で向き合い、乗り越えている。本間選手の場合は「環境を変える」こと。スポーツの競技や拠点とする国・場所を変えたり、時にはスポーツ界から離れて、また戻ってきた。「いま何をしたいのか見えなくなった時に、まったく違うカテゴリーの人と会って話したり、生活したりてみたら、何かが見えるんじゃないか。行き詰まったら、違うことをしています」「人から言わせたら逃げているのかもしれない。だとしたら、逃げるのも1つの道で全然あり」「いっぱい外れて、いろんな嫌な思いやつらいこと、もちろん傷ついたりする人生も、自分で選んでいることが大きい」本間選手の原動力や考え方は、「いいも悪いも必ず自分で決める」という、母親の教えが大きく影響しているという。ビーチテニスで世界一を目指すかたわら、「40歳になったら会社をつくりたい」という目標も叶えつつある。ビーチバレー男子の牧篤矢選手と会社を立ち上げた。アスリートが独り立ちする難しさを実感した経験から、「アスリートじゃなくても、夢を追いかける人の応援ができる会社をつくりたい。社会とのつながりを持ちながら夢を追える環境を作りたい」と考えている。その信念が、本間選手の絶え間ないチャレンジを支えている。


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