Saturday 8 May 2021
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huffingtonpost - 25 days ago

内田也哉子さん「母親である前に自分の人生を面白がる」ユニークな母の背中を追いかけて

「私の育った家には、おもちゃがありませんでした。」  新刊絵本『こぐまとブランケット 愛されたおもちゃのものがたり』(L・J・R・ケリー著/早川書房)を翻訳した内田也哉子さんが、この絵本のあとがきに寄せて書いた一文だ。絵本は、少年とおもちゃが離れ離れになってしまう物語だが、翻訳した也哉子さんにとっての幼少期のかけがえのないおもちゃの代わりは、家の本棚に置かれていた絵本だったそうだ。也哉子さんといえば俳優の樹木希林さんを母に持ち、父親でミュージシャンの内田裕也さんはほとんど家に帰らないという、ちょっと変わった家庭で育ったことはよく知られた通り。現在、23歳、21歳、10歳と3児の母でもある也哉子さんは、かつてどんな少女で、母の背中をどんな風に見つめていたのか。そして、いまどんな母親なのだろう。話を聞いた。おもちゃも、テレビもなかった私の育った家には、おもちゃがなかったんです。テレビを観る習慣もなかったですし、うちの中だけ時間が止まっているじゃないけれど(笑)、限りなく世間とは逆行していたというか、他の家とは明らかに何かが違っていました。そんな家で、初めてクリエイティビティに触れた原点が、絵本でした。本棚に並んだ画集や写真集など大人の本に混ざって、絵本が5、6冊だけ置いてあったのですが、自然と手を伸ばしたら絵本の世界が広がりました。絵の魅力と、こんなに最小限の言葉だけで、ここまで世界を広げていけるものなのかと、すごく感動しましたね。「なぜ、うちにはおもちゃがないの?」と母に面と向かって聞いたことはありません。ただ、母は日本古来の美意識というのか、たとえば床の間の空間に花を一輪だけ挿すとか、掛け軸をすーっと掛けるだけとか、そういう簡素化された美しさをものすごく大切にする人でした。キッチンの道具にしても色んな鍋や調理器具を集めて というのではなくて、ひとつのものをどうやって応用していくかを楽しんでいるのが母でした。戦後間もない物のない時代に生まれて、高度成長期に日本が豊かになっていく過程で、古来の美意識が損なわれていってしまうことへのレジスタンス精神みたいなものを母は持っていたのだと思います。 母の目論見は想像させること?おもちゃにしても、出来合い、つまり既成品を子に与えるのではなくて、何もない中でどうやって楽しみを見つけるかってことだったんでしょう。私は、椅子と椅子を並べて、そこへシーツを被せてテントにして、お鍋とかお茶碗を持ってきて、おままごとをやっていましたね。子どもの頃、友だちの家へいくとおもちゃがいっぱいあったりして、そのギャップに切なくなったものでした。今思うと、余計なものが無い分、空想することや、おもちゃ代わりの絵本の言葉も、その世界にじっくりと思いを巡らせてみたりということができたのかもしれません。残っている記憶ひとつひとつが濃いのです。もしかしたら、それが母の目論見だったのかもしれませんね(笑)。 先日、脳科学者の中野信子さんとお会いした時、「也哉子さんは寂しかったかもしれないけれど、実はそれは、お子さんのイマジネーションやクリエイティビティ、人が生きていく力を育むための最高のやり方なんですよ」と言われました。そう言っていただけて、「はぁ、そうかあ」と。大人になって少しずつ母の気持ちがわかってきた感じです。じゃあ私が自分の子育ても同じようにしたかというと、それは自分がすごく偏った育ち方をしている自覚もあって、なるべく普通におもちゃも買ったし、反面教師にしたというのかな(笑)。 「子育てはクリエイティブ」希林さんの言葉私は19歳で結婚して、21歳で最初の子を出産しました。周りの同級生たちを見渡せば、これから社会へ羽ばたいていく時で、赤ちゃんと家に閉じこもっている自分と比較してしまってブルーになった時期がありました。そんな時、母が言いつづけてくれたのが「子育てや主婦ほどクリエイティブなものはないのよ」という言葉でした。最初は、「そんなぁ」と思っていたけれど、小さな命は日々成長していくもので、赤ちゃんの成長をすぐそばで見ていると、見させてもらっているという気持ちへ変わっていき、ものすごく豊かで、クリエイティブなひとときを過ごさせてもらっていると、身をもって感じていけたのです。たくさんのオーディエンスから拍手をもらうことはないかもしれないけれど、命が循環していくことがこんなにもクリエイティブなことなんだと実感できるのは大きな驚きと喜びです。 母親である前に自分の人生を面白がる 私自身の子育てに目を向けてみると、子どもたちのそばにいすぎたり、母親としてケアしすぎてしまうことがあります。母がよく言っていたことで、これも母の持論なんですが、「私たちの時代の子育ては、大人たちが子どもに目を向けてやれる時間もゆとりもなかった。大人は自分たちのことで手一杯だったんだ」と。でもその反面、「そういう環境下にいる子どもはきちんと失敗できる自由があった」というんです。そして、「その失敗があるからこそ子どもは自分で立ち直ることもできるんだよ」と。3人子どもがいますが、2人はもう成人しています。2人とも小学校を卒業してすぐ海外の学校へ進みました。私が子どもの時もそうだったのですが、物理的に親と子が離れるようにして、子どもには自分で世界を歩いてほしいという願いがあったからです。もちろん離れる寂しさもあるのですが。それに、私自身もやはり母親である以前に、自分の人生を面白がらないと、何も子どもたちに伝えることができないんじゃないかなとも思っています。 不登校の子どもたちから学んだこと『9月1日 母からのバトン』(不登校の子どもたちをテーマにした母・樹木希林との共著)を作った時、すごく感じていたのは、自分の殻を破れない子どもに親はどういう風に関わればいいのだろうということでした。実際に不登校の経験がある方に取材させてもらって聞いた話ですが、不登校の子どもの心の闇は、一見底なしの湖のように思えるのだけれど、その子のペースでもぐっていくと必ず闇の底にコツンとぶつかって自力で浮き上がってこれる瞬間は訪れるというのです。そんな時、親は、子が向き合う孤独をしっかりとその子に「味わわせてあげる」ことが大事なんだそうです。そして、子どもの気持ちとしては、親から「大丈夫? こうしたら? ああしたら?」と気遣われるよりも、親自身が自分とはまったく別の方向を向いて、何かを楽しんでくれている時があるほうが楽だと聞きました。母がよく言っていた「昔は大人が自分たちの人生で手一杯で、子どものことどころじゃなかったのよ」ではないですが、それも一理あるのかなと感じます。親にも子にも、それぞれ色んな立場があるのですから、成長による変化によっても、お互いの距離感はその都度はかっていく必要があるんだろうなと思います。 いろんな親子関係があるから私の母は、母性より父性の強い人だったように思います。まだ小さな私と話す時にもいつも大人に対するのと同じ話し方でしたし、こちらも母に置いてかれないように一生懸命追いかけるみたいな、親子関係でした。(事実上の)シングルマザーで、子育てしながら自分で稼がなきゃいけない、子どもを食べさせなきゃいけないという渦中にいた母でしたが、私のことは「世間に育ててもらった」と言っていました(笑)。親子関係にも色んな形があるし、家族にも色んな形があると思います。どんな家族の形であっても、この絵本『こぐまとブランケット』が読んだ人に寄り添える存在になってくれるといいです。絵本というのは、ずっと一緒にいられる、何十年経ってもまた思いを巡らせることもできるものですから。(取材・文:堀あいえ 編集:毛谷村真木/ハフポスト日本版)関連記事『どうか生きてください』樹木希林が亡くなる直前、娘につぶやいた9月1日への思いLiLiCoが、樹木希林さんから受け取ったもの。女性をエンパワーメントする映画5選「やり残したことは、ありませんか?」ーー樹木希林の声が、今も耳から離れない。...クリックして全文を読む


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